kidがきて

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アメリカ人で、現在は中国で似顔絵と漫画の仕事をしているKidが日本に来ています。東京にいる間に似顔絵の講義をしてくれました。彼の似顔絵は、アメリカっぽいデフォルメや、シチュエーションを交えた、ちょっとえぐさ、ある絵です。 Kidは生徒に 顔の傷でも痣でもホクロでもホクに生えた毛さえも描いていいんだよ と言います。 そういう小さな一部もその人なのだから 自信をもって描けばいい と、これは Kidの生き方が反映されている言葉です。ベトナム戦争にも行き、体にはいろいろな傷があり、アパッチだということを誇りを胸に、似顔絵と漫画の技術で、世界を旅して、生活しています。その他、彼のバックボーンを知っているので、私は彼のこの自信は不動だと感じます。
彼とは逆に、 私は傷や痣や障害を描きません、その人だと認識される要素として絶対に必要ではないと感じているからです。これは私が、若い頃に交通事故に遭い、フロントガラスで顔を傷つけられて、100針以上縫い、その後も傷を目立たさなくするために2回ほど手術をしていた経験と関係があります。
話は飛びますが、ドイツの収容所で同じ時期に収容された二人のユダヤ人の女性の今を追うドキュメンタリーを見たことがありますが、一人の女性は、あれから何十年経った今も、その収容所を見るのもまたそのことを話すのも怖くて、家にとじこもっています。もう一人の女性は、こういう恐ろしいことが起こらない社会にしたいと、積極的に各地で講演活動をしています。同じ経験をして、逃れられない人と乗り越える人、ととらえることもできますが、、ある意味、私は両方とも人の自然な姿だと思っています。
私は、私の周りにはその両方の人たちが、厳かに生きているのだと思っています。
私は今は年を取って自分の顔の傷を、傷だかしわだか、、と笑えるようになりましたが、確かに18歳のあの当時、顔の傷を描いてほしくなかった自分がいます。
私が人の苦しそうな顔を描かないのも、エピソードがあり理由があります。私の人生の小さな出来事の積み重ねが、今の似顔絵描きという人の顔を描くという仕事の立ち位置を決めているのだと感じています。私もkidも方向性は全く違いますが、自信を持って立って、そして描いているということです。
また、kid は似顔絵を、ライブのエンターテイメントと考えて、似顔絵を、描いてもらうその場での楽しい遊び、ととらえているのに対し、私の感覚は、思い出、メモリー、記念、ととらえているので、家族で写真館で写真をとる時のように、整えてあげたいとかんじているのも二人の立ち位置の違いでしょう。

さて、私は生徒にこういいたいのです。どういう立ち位置で描いていくかは、あなたが決めることです。若い人は少ない経験の中から、年配の人は豊富な経験の中から。ただし借り物では駄目だということです。この立ち位置というのは、似顔絵の場合、かなり色濃く絵のスタイルにものちのち深く関わってきます。借り物は弱い。

私の大好きな生徒たちはそれぞれ全く違った絵を描いています。けれんみのない、よい絵です。このままのびのびと自分の似顔絵を描いていってほしなあと、作品を見るたびに思うのです。今日は眠れないので起きだしてきて書きました。これで眠れるかもです。おやすみなさい。