父と花と名前

一昨日は私のお誕生日だった。ちょうど土曜日で似顔絵教室の皆さんが祝ってくれた。いくつになってもお誕生日はうれしい。ケーキを食べ終わった頃に横浜から父が来た。お教室の生徒さんが皆楽しそうにしているので、娘もキチンと仕事をしているのだなと、安心してくれたようだ。
その後に二人で話しているときに不意に、掃除をしていたら出てきたと 命名の紙と、私の5才の時の主治医からの手紙をくれた。
私は近所のすさのお神社のお祭りの時に生まれたので、神社で名前を付けてもらったのだ。父は「智子、おまえの名前は神社からいただいたいい名前なんだよ」と言う。
父は自分で名前を付けるよりも、神社からいただいた方がいい名前がつくと思っていたのだなとあらためて思う。皆が親に付けてもらっていて、それぞれに願いがこもっているのに私の名前は神社が勝手に付けたのかあ、、と思っていたが。
思えば父は 家では母の方が立派だからと母の尻に敷かれ、そして会社では、周りの人の方が立派だからと出世もせず、自慢といえば40年以上無遅刻無欠勤だったことのみだと考えているようだった。そんな父を小さい頃は頼りなく思うことも多かったが、その日は謙虚に生きることの美しさを感じた。

もう一枚の主治医からの手紙には、今回〜〜という治療をしているが、先天性の心臓疾患があるので〜〜〜 いわゆるあまり長く生きることはないでしょうという旨のことが書いてある。「お母さんは仕事で忙しかったからね、おまえのおばあさんが毎日毎日看病しておまえはなんとか持ち直して今こうしているのだから、命日にはお花をあげて手を合わせるんだよ。みなさんに感謝するんだよ」と父は言う。

お誕生日のお祝いにとピンクのかわいらしい花束を持ってきてくれた。買い求めるときに女の子にあげるのだけれどと花屋さんに相談したらこんなにかわいいのを選んでくれた。自分で選んだらこうはいかない、、と父は言っていた。

仕事にしている宿命と思って、私は競うような挑むような気持ちで似顔絵という仕事にかかわることもあったが、もっと謙虚な気持ちで描いて行くことの中に父の望んでいる、そして本当は私自身の望んでいることがあるのかもしれない。と思った。
S命名智子