バッタとミシマ

sバッタと三島

昨日は三島由紀夫文学館に行きました。12才の頃帝国劇場で観た、「癩王のテラス」は私にとって、、驚きでした。テラスにあった大きな顔の彫刻が、劇場のセットであることはその粗いつなぎ目でわかるほどの虚像であるのにのに、そのテラスで王様が言っていることは、本当の事 としてきこえてきたのです。作り物なのに、、作り物なのに、、、12才の私はぐらっとしました。そのテラスの彫刻の顔は今でもはっきりと憶えています。
文学館で三島由紀夫の遺稿の中から三島由紀夫文学館が出版した 三島由紀夫詩集を 買い求めたのですが、読みたい気持ちと、はたして三島由紀夫が遺稿の中からの出版をヨシとするのだろうか、これは私の好奇心を満たすためだけであるなら開くべきではないのではないか、と思う気持ちが交錯して夜うまく眠りにつけなかった。結局は読み始めるのだが、少々の自責の念もわく。その時に今日はまだ一枚も絵を描いていないのに気がついて枕元で三島由紀夫の顔を描いた。これでなにか遺稿を読ませていただく 折り合い、がついたような気がした。

私は一日に絵を何も描かないという日はない。それは学生の時の油絵の恩師、小澤福三郎先生が私にいった言葉が頭に残っているからだ。「一日描かなければ自分でわかる。二日描かなかったら周りの人にわかる、三日描かなかったらみんなにわかってしまうよ。」と。
小澤先生に絵を見てもらうときにはものすごく緊張した。いつも泣いていたといってもいい。あの濃密な時間を持続させるためにはお守りのような気持ちでそれだけは守っているのだ。

それが昨日は三島由紀夫の詩集を読もうか否かで頭がいっぱいで一枚も絵を描いていなかったのだ。そうだ、顔を描こう、そして描いたら、、私の中で私にしかわからない、いいえ私にもわからない 折り合い がついたのだった。

*昨日は文学館のあと、ローズガーデンに入った。私が最後の入園者だ。時間ちょうどには出なければと急いで戻ると、「はい、これ」と枯れた紫陽花の花を管理人の人がくださった。枯れた花を、、と思ってよく見ると、薄の葉で作ったバッタだった。私はすごく嬉しくなった。

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